このブログ、「たまゆらMonologue」と、名づけてみました。
「たまゆら」とはひとことで言うと「一瞬」「ほんの少しの間」という意味で、『広辞苑』には以下のように記されています。
たま‐ゆら【玉響】
(1) (万葉集の「玉響(たまかぎる)」を玉が触れ合ってかすかに音を立てる意としてタマユラニと訓じた)
ほんのしばらくの間。一瞬。一説に、かすか。
方丈記「いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、―も心を休むべき」。
「―の命」
(2) 草などに露の置くさま。〈日葡辞書〉
ただ単に「一瞬」というよりも、「一瞬だからこそ輝くもの、美しいもの」といったニュアンスを感じる言葉です。日本語、とくに古い日本語にはこのような知らなきゃ意味不明だけれども知っていると大変美しく響く単語、というものが存在します。
他にもこんな言葉はどうでしょう。
「まほろば」 素晴らしい場所、住みやすい場所
「うたかた」 水面にうかぶ泡、はかなく消えやすいもの
「たそがれ」 夕暮れの薄暗い時分
(「誰そ彼」から。夜明け前は逆の「かはたれ(彼は誰)」。)
「たまのを」 生命。短いことのたとえ。
うーむ、美しい。深みがある。奥行がある。
実は私、大学の専攻は言語学だったのです。
(卒論テーマは『アイヌ語地名の研究』。マニアック!)
ゆえに、言葉の成り立ちや文化から受ける作用というものがとても気になりまして。
日本語のどこか儚さを含んだこの美しさは、季節がとどまることなく常に移ろいゆくこの国の風土だからこそ生まれたものなのではないか、などと考えます。
そんなこんなで、「たまゆらMonologue」はその名の通り、「一瞬キラリと輝いた思考」「一瞬だからこそ美しい人生を富ませるもの」といった意味を込めて、ゆるめに続けてみようかと思います。
願わくばたまゆらにでも誰かの人生を輝かせることができますよう・・・。
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